初フルマラソン完走 北海道マラソン2022

マラソン

こんにちは、夢は「好きなことでみんなに生きがいを!」生きがいブログのわかばです。

いろいろと大変な人生ですが、好きなことや趣味が一つでもあるとなんとか頑張れると実感してます。

みなさんの人生が少しでも楽しくなるきっかけになれればと思い、好きなことがいっぱいあり、なおかつ作業療法士(リハビリ)でもある私が遊び方や体験などの情報を発信させていただいてます。

・はじめに

今回は、初フル北海道マラソンに参加し制限時間6時間ギリギリの5:58:36で完走できたのでお伝えします。

・きっかけ

小さい頃から走ることは好きで穂別の有森マラソン10キロ(13回)や函館ハーフマラソン(2回)に出場しており、大変なことはわかっていましたが、人生で一回はフルマラソンを完走してみたいと思ったからです。

コロナの影響で色々なマラソン大会が中止になり今年やっと三年ぶりの北海道マラソン開催ということと制限時間が5→6時間になったこと、去年のオリンピック選手たちと同じコースが走れるということもあり参加を決意しました。

ただ、ハーフマラソンを完走した時にわかったフルマラソンは更に恐ろしく過酷であろうことと、ハーフマラソン練習時に左膝を痛め、長距離を走ると痛いということもあり、一回きり最初で最後の挑戦という気持ちで望みました。

・コース

コースは東京マラソンでオリンピック選手たちが実際に走ったコースで、札幌の中心地大通公園から白石・藻岩→創成川→新琴似→新川→北海道大学→大通公園に戻ってくる高低差の少ない42、195キロです。

・参加条件

今年から参加人数枠が1.6千人→2万人になり、制限時間も5時間→6時間に延長になりました。

参加資格は満19歳以上の42,195キロを走りきれる見込みのある方(高校生を除く)でした。

・練習

練習は毎日続けている朝のランニング2キロと夜の筋トレと姿勢の矯正、普段のアウトドアを中心としたトレーニングを行いました。

一回目のハーフマラソンの際に猫背姿勢による走りのフォームの悪さから膝に負担をかけてしまい、ふくらはぎをつり、最後は足を引き釣りながらゴールし、そこから長距離を走る際や登山をする際に痛みが出てきてしまう膝となりました。

一回目の反省から二回目は猫背姿勢の矯正と体をおこして走るようにするフォームの改善によって怪我なくゴールできました。

今回は更に距離が2倍になるということでより正しい姿勢とフォームが重要ということで、紐で太ももを固定した状態で仰向けになり、重力で少しずつ骨盤と背骨を伸ばしていき、猫背姿勢の改善に努めました。

また、毎朝のランニング2キロの際も体を起こし頭をぶらさないように走る様フォームを意識しながら走っていました。

毎週登山やロードバイク、マウンテンバイクで鍛えていたため、実際に純粋に走る練習をしたのは大会の2週間前からで、2週間前に10キロ、1週間前に10キロ、4日前に10キロのランニングを行いました。

ハーフマラソンの時に膝を痛めた経験もあり、長い距離での練習は控え、10キロを速いペースで走り終わっても疲労・筋肉痛がない位にまで鍛えて大会に臨みました。

・準備

新聞で中村選手が一週間前から水分を多めに摂取し、ゆっくりと体に水分を溜め込むようにと話しており、粉ポカリスエット1リットル用を750mlの水筒2つに薄めて作り、午前と午後に一本ずつ飲むようにしていました。

また当日にエネルギー切れにならないように、疲労回復効果のある鶏胸肉や豆腐、梅干し、キムチなどをバランスよく普段よりも食事量も増やして一週間かけて食べました

朝食
昼食
月曜日
火曜日
水曜日
木曜日
金曜日
土曜日①
土曜日②
当日朝食

練習後の柔軟体操や入浴・サウナ・水風呂、時間と質を重視した睡眠による疲労回復を行っていました。

・持ち物

ゼッケン、計測チップ、手荷物預け袋、大会要項、リュック、着替え、水筒、朝食、補給食、

送付されたもの

・服装

オリジナルTシャツ、短パン、インナータイツ、ランニングシューズ、スマートウォッチ、

→次のページでは当日の流れをお伝えします。

・JR移動

朝6時発JRで札幌行くことにしたため、前日は9時半に寝て5時半起床の8時間睡眠となりました。

また朝食を食べている暇がなかったので、前日に準備しておいたうなぎおにぎりと梅かつおおにぎりを車内でいただきました。

車内では音楽を聞きながら、ひたすら深呼吸を続けリラックスするように努めてました。

JRで札幌に向かう人も多く、ランナー達が続々と乗り込んで来ました。

・会場へ移動

改札を出る前にトイレをしようと思ったのですが、どこも列ができており、少し離れたマイナーなトイレにも行ったのですが何箇所も個室は埋まっている状態でした。

10分くらい並んで要約用を済ませることができ、会場に向かいました。

スタートが大通り公園であるため、札幌駅からは地下鉄一駅分の距離があるのですが、ウォーミングアップも兼ねて歩いていきました。

ランナーの方が多く、より緊張感が増しましたが、歩きながらの柔軟運動と深呼吸で落ち着くようにしていました。

・スタート準備

出走順のグループはエントリーの際の自己申告の完走予想時間によってA〜I(私はIグループ)に分けられており、整列時間8:10の20分前に会場につきましたが既に多くの方が整列しており、各グループの前線は混んでおりました。

また、グループごとに大通公園の区画が割り振られており、荷物置き場、トイレ、補給所、更衣室が備えられていました。

しかし、人数が多いだけあり更衣室、トイレ等は長蛇の列ができており、並んでいると整列の時間に間に合わなかったため、広間でジャンパーの中でTシャツを着替え、トイレも途中で行けるだろうとしませんでした。

今回の北海道マラソンは靴紐にセンサーチップを結びつけてタイムを計測するシステムなため、周りの人を見様見真似で取り付けました。

直前にウィーダーinゼリー(エネルギー)と薄めたポカリを2口飲みました。

・整列

スタート位置はかなり後方になり、軽く柔軟と深呼吸をしながら待機していました。

放送ではアナウンサーの方が選手たちを鼓舞してくださっており、鈴木知事さんからのエールやサカナクションさんのこの大会のために書き下ろされた「多分、風。」などが流れ、これから始まるという高揚感が会場に満ちていました。

・スタート

8:30にテレビ塔の電光掲示板のマラソン仕様の演出とともに号砲が鳴りスタート!ですが先頭から順番に2万人が走り出すため、私のIグループは歩きよりも遅いくらいの速さで歩いたり止まったりを繰り返しました。

10分位かけてスタートラインにたどり着き、そこからやっとウオーキング位の速さで走り出すことができました。

沿道では相当な数の観客の方や報道の方が応援してくださっており、更に鼓舞されいいスタートを切ることができました。

・スタート〜メイン通り

大通り公園から狸小路、すすきのまでのアーケード区間はまだ集団が混雑しており速く走れないため、札幌の町並みを楽しみながら声援を受けながら走ることができました。

トイレに行きたく脇見しながら走っていたのですが既にどこも長蛇の列ができており、ここでも我慢を強いられました。

・5キロ地点(平岸通り)

豊平川を渡り中心街を抜けると徐々に人数がバラけてくるため、速度を出して走りやすくなり、自分のペースで走れるようになりました。

ただ、この時点でちらほらと苦しそうな様子の方が見られるようになり、速度を落として下がってくる人との接触には注意が必要です。

5キロ地点を過ぎたあたりで給水所が設置されていたのですが人数のせいか品切れになっているところがあり、まだ品切れになっていない箇所に人が集中して混雑しておりました。私も少し並んで水をいただきました。

道沿いの飲食店や企業の方が沿道に出てきてくださっており旗や笛などで応援してくださりとても元気づけられる区間でした。また、会話をしながら走っているランナーの方もおり感心しながら走っていました。

再度豊平川を渡り中心街に戻って来ると、創生トンネルという普段は車両のみ通行可なトンネルの中を走ることができ、非日常感とトンネルの先までびっしりといるランナーに感激しました。

・10キロ地点(創成川沿い)

大きい通りであるため歩道橋が多くあり、上から応援してくださる方もおり、4歳くらいの男の子が小さい体でめいいっぱい大きな頑張れをしてくれ苦しくなり始めてきたランナー達を笑顔にしてくれました。

2箇所目の給水所では水のとり方にも慣れて、手前ではなく少し奥の空いている箇所から水をもらい無事に給水できました。

・15キロ地点(新琴似2条通り)

身体的には体が温まってきていい調子だったのですが、14キロ地点を過ぎたあたりで今大会中最大の精神的な壁に直面しました。

結構走ってきたけどあと三倍近く30キロもあるのかと思ってしまい、本当に無事走りきれるのかや膝は痛みが出ずにいてくれるだろうかなど不安と雑念で頭がいっぱいになり、速度は維持できていましたが体が思うように動かなくなりました。

そして、徐々に気持ちにつられペースが落ちていき、ペースが落ちてきた事によってまた気持ちが落ちてきて、負の悪循環に駆られながら16キロ地点を走っていました。

そんな気持ち的にどん底な状態で走っているとき、気づくと前に盲者の方がサポートの方といっしょに懸命に走っておりました。

その姿と姿勢から視覚がない大変な状況でこんなにも懸命に走っているのに、視覚も体力的にもまだ余裕がある自分が気持ちでめげそうになって恥ずかしいと思い、改めさせられました。

また、17キロ地点で今大会優勝のルカムセンビエ選手とすれ違い35キロ地点にも関わらず、原動機付き自転車並の速さで走る姿に、後半にも関わらずあのスピードで走り続けることは尋常ではなく苦しく大変だろうと圧倒され、まだまだ弱音を吐いてはいられないと立ち直りました。

そして、考えてみればここを走っているすべての人が同じ条件の下でみんなそれぞれの大変さをもって走っているのだと気づき、その後何回も精神的に苦しい場面は来ましたが、自分が苦しいならみんなも苦しいと言い聞かせて心だけは折れないように誓って走りました。

・20キロ地点(新川通り)

気を持ち直して比較的いいペースで走っていたのですが現実は無常で20キロを過ぎたあたりから、恐れていた左膝の痛みが出てきはじめました。

姿勢の矯正とフォームだけは気をつけていたのですが、20キロを超えると体にかかる負担も多くなったようで、徐々に痛みが強くなり、左膝をかばうような走り方になっていきました。

左膝をかばって走ると右足の筋肉・関節への負担も増大するため、残り20キロを走り切るのは絶望的でありました。

しかし、幸いにももう既に一度心が折れ、立ち直っていたため気持ち的にはどんな状況でも走りきりたいモードになっており、痛みはあるなか沿道の応援を糧に走り続けました。

するとアドレナリンかエンドルフィンという戦闘モードになる脳内分泌物質が出たのか、徐々に痛みを感じなくなっていきました。

ランナーサポート所があり、どら焼きやエネルギーゼリーが配られたり、救護テント・トイレが準備されていたのですが、どこも長蛇の列で並んでいると制限時間内に関所を通過できなくなってしまうため、致し方なくスポーツドリンクだけをもらうことにしました。

サポート所の補給食を頼りに食べ物を持参していなかったため、ガス欠状態のかなりの痛手でランナーが落としていったどら焼きを拾って食べようかと思うほどでした。

・26キロ地点折り返し

限界なのに体は最高潮になるランナーズハイという状態になり、膝の痛みもなく、折り返したという気持ちの後押しもあり非常に軽快なペースで走ることができました。

・30キロ地点(新川通り復路)

魔の30キロと言われているだけありそこから全く足が上がらなくなってしまい、気持ち的にはラスト10キロ頑張りたいのに足が全くついてこないという身体的壁にぶち当たりました。

噂には聞いていたのですが、本当に足が鉛のように重く、触ってみても人間の体なのかと思うほど鉄のように固くなっており、あまりにも限界ではじめて歩いてしまい、少し歩いては走っての繰り返しになりました。

幸いにも31キロの補給所で塩分タブレットと飴が配らていたため、3ついただき、舐めながらは呼吸がきつく走れないため、その場で噛み砕いて食べました。

ここまでずっと給水所のスポーツドリンクだけで走っていたのでたった3つの飴だけでも私にとっては救いでした。

ボランティアの方、運営の方、応援の方も含め、ランナー以外の本当に多くの方に支えられて走れていることに、感謝と感謝の気持ちでいっぱいの大会でした。

・34キロ地点(仮説トイレ)

並ぶに並んでおり入れなかったトイレがやっと3人待ち位になっており、ようやく用を足すことができ、足は相変わらずきつく回復しませんでしたが、少し体は楽になりました。ここまでで約5時間で全ての補給所でスポーツドリンクを飲んでいたため、腎臓と膀胱は悲鳴をあげていたと思います。

・35キロ地点(新琴似2条通り復路)

30キロ地点を過ぎてからは足が限界だったため、歩いて、でも制限時間内に間に合わないから走って、でも足が動かないから歩いての繰り返しでした。

ただ、限界の中で遠い先のゴールにたどりつけるかどうこう心配してもしょうがなく、今一生懸命この一歩を止めなかった先にしかゴールはないという悟りをひらき、次の給水所、次の1キロ地点の看板までとひたすら細かく目標を決めて走り抜きました。

・39キロ地点(北海道大学入り口)

走れなくなりほぼ歩いてしまい、私よりはるか年配の60〜70歳の男性女性に抜かれていき、年齢も大きく関係しますが日々の練習と努力の積み重ねはすごいものだなとしみじみ思いました。

また、40歳位の女性でゴミ袋を持ちランナーが捨てていったゴミを袋いっぱいに拾いながら走っており、驚きと尊敬の念しかありませんでした。

・40キロ地点(北海道大学内)

最後の大きい給水所を抜けてからはもう体は限界で足は動かなかったのですが、人生におけるせっかくの挑戦なのだから、あと2キロ悔いのないように全身全霊で走ろうと思いました。

動かない足は諦めてまだ力が残っている腕を大きくふり、その勢いで体を浮かして一回も歩かずに走りました。

・ラストスパート(北海道庁赤レンガ)

ゴール手前では本当に大勢の方が沿道で応援してくださり、不格好な走り方にも関わらず真剣にエールを送ってくださり、温かさが心に染みました。

ただゲート前であと3分という放送が聞こえ、時計を見ると本当に時間ギリギリでこんな時間になっているとは思わず、歩くよりも遅いような走りでしたが本当に本当に全力を出し、ゴールゲートをくぐることができました。

・ゴール

ゴールした瞬間はもう出し尽くして空っぽだったため、純粋に走りきれて良かったなと言う感想でした。

また、限界過ぎて途中歩いてしまいましたが、最後2キロを全身全霊で走れたため今の自分ができるベストな走りであったなと思え、充実感で満ち溢れていました。

・ゴール後

完走記念メダルとタオルを受け取り、荷物置き場まで歩いていったのですが、もう歩くこともできなく、たった300㍍程の距離を7回も草むらやベンチに座りながら移動し、30分もかかってしまいました。

・レース後

荷物置き場では係員の方がいてゼッケン番号と荷物番号を確認して荷物の引き渡しが行われました。

草むらに座りながら持参したスポーツドリンクとバナナ、ソイジョイ(チョコ味)を食べてストレッチをしながら1時間半程休んでいました。

・帰路

本当であれば筋肉が温かい内に温泉に入り、水風呂で筋肉を冷やし、温泉とサウナで血流を良くして疲労回復をしたい所だったのですが、歩くのがやっとであったため、JRで自宅に帰ることに体力を割くことにしました。

帰りは地下鉄ひと駅分ですが大通り〜札幌駅も地下鉄に乗って移動しました。

立っているのも辛い状態だったため、発車30分前にJRのホームに行き、20分ほど並びましたが無事席に座ることができました。

電車の中1時間は端の席に座り、壁によりかかりながらずっと寝て過ごす結果となりました。

・アフターケア

自宅に帰り冷水シャワーとお風呂で簡易アフターケアをして、少し柔軟ストレッチを行いました。

また、家族がお祝いに焼肉を用意してくれたので、しっかりとタンパク質とエネルギー補給ができました。

→次のページでは後日談についてお伝えします。

・後日

当日はさることながら翌日は足が筋肉痛でバキバキでなんとか普通に歩けるレベルで、翌々日位から徐々に痛みが引いていき3日目には普通の足の状態に戻っていました。

翌日位に記録証の速報がインターネットで公開され、ゼッケンナンバーを入力すると自分の結果を見ることができました。

ただ、回線が混雑しているため、午前中はサイトにたどり着けませんでした。

また、翌日からの方が走りきった達成感がじわじわと感じられ、少し自分に自信も持てました。

そして、たくさんの方がテレビを観て応援してくれており、改めて頑張って良かったなと走りきれて良かったなと感謝の気持ちでいっぱいになりました。

・北海道フルマラソンで大変だったこと

  • 走る練習が圧倒的に足りなかったこと

普段の運動からゆっくりであれば42,195は走れるだろうと踏んでいましたが、甘く事実30キロ地点で足が動かなくなってしまいました。

フルマラソンを走り切るならその十倍の距離を練習で走る位でなければいけないと完走者が話すように、マラソンはマラソンの練習をしなければならなかったため、今回の反省点です。

  • 大会前最中のトイレをするのが難しかったこと

大会側や地域の協力企業さんも仮設トイレを用意してくれているのですが、参加人数があまりにも多数であるため、供給が追いついておりませんでした。

並んでしまうと時間内に完走できなくなってしまいますが、我慢しすぎると体調を崩してしまうため、会場近くに宿泊し整列ギリギリに済ませるのが一番良いのかなと感じました。

  • 補給食を獲得できなかったこと

初フルマラソンで少しでも荷物やバックを減らしたく、補給所の補給食を頼りに何も持参せずに出場しましたが、やはり補給所では長蛇の列ができており、並んでいると完走できなかったため、そのまま走りました。

ただ、42,195キロという距離を補給無しで走るとハンガーノック現象(脳の低エネルギー状態で体が動かなくなる)も引き起こしてしまうため、補給所だけを頼りにせず、自身でも補給食を持参する必要があると学びました。

・まとめ 感想

今回人生初のフルマラソンに挑戦して、ギリギリですが完走できた感想としては、シンプルですが「頑張って良かったな」ということです。

走っているとき諦めようとは思いませんでしたが、辛くて止まりたくなることは本当に100回以上ありました。

心は折れるし、体はボロボロだし本当に一筋縄でいかない大変なことだらけでした。

ただ、そんな中でも応援に支えられたり、他のランナーに支えられたり、自分と戦ったりと色々な出来事を通し、歩みを止めずに頑張り続けた結果、42.195キロという道のりを完走できました。

人生はマラソンとは違い明確なゴールはありませんが、大変な事もあれば嬉しいこともあって、また大変なことあって支えられて、時に休んで、また走り出しての繰り返しで、とてもマラソンに近いものを感じます。

本当に大変でしたが、今回の経験は今後生きていく上で、必ず糧になっていくと思うので、本当に本当に頑張って良かったです。

そしてこれからも色々なことに挑戦して、失敗して、成功して、成長していきたいと思います!

みなさんの人生も少しでも楽しいものになりますように!

コメント

タイトルとURLをコピーしました